ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第134号 

2008. 9.8 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 緑のカーテンに隠れ 環境破壊が!
  2. 学校の小さな里山(稲毛二小ビオトープ):「いのちの森」
  3. こひつじハウスのキャンプの思い出
  4. 新米主婦のえこ日誌 M〜ダイヤモンドは永遠に!?〜

緑のカーテンに隠れ 環境破壊が!

木更津市 金井 珠美 

 「上総丘陵」をご存知ですか?
市原市から南方になだらかに連なる山々が、緑のカーテンとして房総半島に広がっています。この自然が私たちの生活に恵みをもたらしています。しかし、その上総丘陵が大きく変わろうとしています。
現在、上総丘陵の良質な山砂を、これでもか、これでもかと採取して、東京を始め発展する大都市に提供しています。その一方で、都会の大開発で行き場のない、残土を削られた山へ、埋め戻しのために受け入れているのです。1日3千台とも5千台とも言われるダンプが、全国から集まり走っています。
これ以上自然が壊されるのを黙っていてはいけない『守ろう! 房総の水と緑を・残土処分場の建設を阻止しよう』と8月24日に決起集会を開きました。
これまでも、県外からの持ち込み制限や罰則規定、住民の承諾、など厳しい内容を盛り込んだ改正を求めてきました。さらに一歩進めるため、現実に困っている多くの人が手をつなぎ、声を上げて行こうと、県内外から90名近くの人が集リました。
各地域の現状を報告、検証そして残土の問題点の情報共有や運動の交流をし、また各地域へ戻って大きな運動として広げていくことなどを話し合いました。

 県の残土条例では手続き上で、申請時に書類の体裁が整っていれば、現地を見る事なしに許可されます。これまでも、いくつかの過ちを指摘しましたが、事実確認等せずに許可をしていることには多々疑問を感じます。
処分場は山の中がほとんどで、普通の生活の中では知る機会はほとんどありません。まして、都市に住んでいたら、想像もつかないでしょう。ほとんどの人が知らない間に、自然破壊はすごい勢いで進んでいるのです。
 山がなくなると、風向き、雲や雨が変わり、木々の成長や、川や海の生物への影響が大きくなります。そして問題は残土や産廃を通過した雨水は地下水脈や川へと流れ込み、農業用水や飲料水として再び人間に戻ってきます。生活に影響してきますし、健康被害についても考えられます。
また、本来そこで育った土ではない、異質の残土を積み上げて山や林は再生できるでしょうか?大変疑問ですし、地震や大雨など災害も心配です。
ゴミや処分場の解決には「開発、消費」を考えなければいけません。製造、生産時から廃棄まで、責任の所在を明確にしていくことが必要です。経済界と政界が癒着している限りこの連鎖は続きます。癒着を断ち切らなければ、負の遺産は増え続けることになります。
都会に住む人は「田舎は良い場所だ」と言います。これからも良い場所であり続けるためには多くの人が、これらの現場を見て実態を知ってもらい一緒に声を上げて欲しいと思います。


学校の小さな里山(稲毛二小ビオトープ):「いのちの森」

グループ2000(環境に学ぶ)代表 千葉市美浜区 横田 耕明 

 1999年にスタートした稲毛二小のビオトープ作り。「いのちの森」と名づけられ、2002年、日本生態系協会主催の全国学校ビオトープコンクールで文部科学大臣賞を受賞。
 「子どもたちには、毎日触れることのできる身近な自然が必要だ。」という思いから1997年、ビオトープ作りに関わるようになって、気がつけば、もう10年以上の年月が経っていました。ビオトープ作りを通して、失った自然を再生することの大変さに気づき、それが、残った自然を守り、再生する行動へと発展することを祈りながら、協働作業をやってきました。この間、県内の10校を超える学校ビオトープ作りのお手伝いをしてきました。

 多くの人との出会いや別れ、喜びや悲しみを重ねてきました。それぞれの地域性や人それぞれの思いの違い、立場の違い、それらすべてを受け止めながら、小さないのちを育み、自然の営みは続いています。
8月、去年に引き続き今年も韓国からビオトープ視察団が「いのちの森」を訪問され、ご案内しました。今年は、済州環境運動連合(設立1994年、会員数800人)のメンバー12名(小、中、高、大学の教職員、事務局、通訳を含む)の訪問で、環境教育施設及び環境教育プログラムの開発のための見学で、とても熱心で感銘を受けました。
 「教育とは流れる川に文字を書くようなはかない仕事です。しかし、そんな仕事に対し岩壁にのみを打つような真剣さで取り組むようでないと教師とは言えません。」とは、国民教育の父、森信三先生の言葉です。視察団の1人から、いのちの森の活動を続けてきてどのような成果、あるいは、子どもたちにどのような変化がありますかという質問がありました。虫嫌いの子どもが虫を触れようになったとか、子どもたちが色々なことに好奇心を持つようになったとか、多々あると思います。自分もそうであったように、中学、高校、大学、子どもの頃の自然体験は忘れたかのように思われる時期があります。しかし、脳の中、あるいは体内に刻まれた記憶が蘇って来て、それが生きるヒントになることがあります。卒業生が懐かしそうに訪れるいのちの森、いつしか、ここは心の故郷に、、、。
本当の成果は、きっとそういうことではないかと思いますというお答えしました。
いのちの森は、子どもたちのアイデアで毎年手を加え、変化し続けています。継続することの難しさ、継続することの大切さを実感しながら活動を続けています。9月の「いのちの森の日」(自然体験活動)には、元気な子どもたちの歓声が響くことでしょう。
また、今年度より県自然保護課では、NPOや学校、地域住民などが連携して実施する学校ビオトープの整備・改修及びその活用を支援する事業が始まりました。今年度は15校が採択されました。今、県環境学習アドバイザーとして2校の学校ビオトープの再生のお手伝いをしています。この事業を通して学校にビオトープが根ざし、環境教育の発展につながればと祈るばかりです。

 

こひつじハウスのキャンプの思い出

市原市 南川 忠男 

 7月20,21日、1泊2日で長柄町のこひつじハウスで恒例のキャンプがありました。
今回は「地球に優しいエコキャンプ2008」をテーマにテント泊(テントはオーナーが予め設営済み)16人、室内も16人くらいで日帰り、次の日の朝又来られるなどで8名の合計40名で楽しく実施されました。
 こどもたちは4つのグループに分かれ、リーダーを決めて、今年からは配膳とあと片づけ(食器洗いも)もこどもも担当するようにしました。
初日は異常気象の話から発展させて「天災に勝とう」を地球温暖化防止の意識向上のため、写真と映像付きのパワーポイントで子供向けに15分くらい説明し、説明の中から出題するウルトラクイズで最後は早押しでチャンピオンを決めました。最初の5問まで全員正解で、よく聞いていてくれたと思い嬉しかったが、逆に選抜しにくくなった。
 11時からすでに下見をして危ない箇所には板を敷いた密林みたいな山道を標高差80m下りネイチャゲーム(宝物探し)をして木陰(谷津頭に相当)で吹きわたってくるすがすがしい風に吹かれて、弁当を広げました。帰りは3班に分かれ、迎えの車で帰る方、来た道を引き返す方そして、今回のメインの冒険わくわくコースでこひつじハウスに帰る班に分かれました。この冒険コースはスタッフが6月上旬にルート工作した初めての道で険しい稜線あり、1.5mの飛び降りありの平均斜度40度くらいの探検心をくすぐる山道です。最後はブッシュのかき分けとなります。12人の志願者はリュック、網、水筒はすべてふもとの車に載せての登頂でした。午後は竹で夜のカレー用の食器を作り、森の運動会として「森のビンゴ」と「長息競争」で盛り上がり、夕食後の森の音楽会では環境創作落語(南川担当で18年ぶりに着た浴衣とろうけつ染の扇子はよかった)、手話・演奏付き「世界はひとつ」の歌唱、宮沢賢治の詩の朗読(あれだけ長く暗記できるのですね)、地元小のリコーダー演奏、将棋の歴史講話、差し入れ兼飛び入り歌唱で予定時間を大幅に過ぎました。

 その後、肝試しでは声を出してはいけないルールだったが、私と同行の女性が暗い茶畑の背後からマスク顔に忍び寄られ、大きな叫び声があがりました。予定位置でない出没とその声につられ、私もびくっとしました。150m下の地下水を太陽熱でわかした(何人目からはガス沸かし)露天風呂で汗を流し、こどもはテントでそれぞれ楽しいことをし、大人は月齢17日の月が南中するまで、ガスランプの明かりの下、環境について呑みながら語りました。虫が好きな子どもとその親が1組いまして、午前1時半ごろ虫採りに行ったみたいです。
この家族で絶滅危惧種健在証明!
 早朝散歩は6時から7時まで、道端の8つの草の名前を覚えながら、秋元牧場を散歩しました。私がその植物の名前の由来や特徴を興味深く説明できるとこどもももっと花に興味をもってもらえるのではと反省しています。
 いつになく早く9時には大人5人で流しそうめんの水路を組立て終え、薪でゆでるまで時間があったので、水路で4組対抗ボートレースをしました。流しそうめん後は、デザートにすいかを頂き、その種で恒例の種とばしをしました。距離でなく的当てですので、老若男女思い思いの口をして飛ばしておりました。その後各種表彰をして、優勝チームの小4の貢献者を胴上げしました。地球温暖化防止のわたしができることを順番に発表し、それを約束しました。最初と最後がきちんとキャンプの趣旨である「環境に優しい」を意識でき、スタッフとしても楽しいキャンプでした。キャンプロケーションが谷津田や牧場にすぐ近くで、冒険コースで探検できるのもこひつじハウスならではと思います。楽しい日をすごすことができました。


 

新米主婦のえこ日誌 M
〜ダイヤモンドは永遠に!?〜

              山武郡大網白里町 中村 真紀 
 2人だけの静かな夜、「今夜の星を1つだけ閉じ込めたよ」と言って彼がくれた小さな箱。中には光輝く宝石と2人の未来が入っていました。
 今月はダイヤモンドに関するお話です。
 ダイヤモンドの産出国は主にアフリカにあります。ダイヤに魅せられる人々の裏側で、現地では悲惨な状況が生み出されているってご存知でしたか?例えば、アンゴラでは90年代初め、反政府組織が大量の原石を元に戦闘資金を調達し、内戦はエスカレート。その後の和平交渉決裂後は北部のダイヤ産地を占領し、労働者を奴隷の様に使って更に富を肥しました。またシエラレオネでも90年代半ば、同じく反政府勢力が国内最大のダイヤ産地を手に入れ、原石を売りさばいています。その組織の兵士の多くは強制的に連行された少年兵たち。ドラックに犯された子供達は住民達を支配するため、残虐行為を繰り返していました。このようにダイヤモンド鉱山が見つかってしまったばかりに、現地が血で染められ、人々が苦しめられているケースが数多くあるそうです。
 では何故そんなダイヤがこの国ではロマンスと結び付いているのでしょうか?それはダイヤモンド最大手D社のマーケティング戦略の成果です。つまり「給料の3か月分」というのも「ダイヤモンドは永遠」というのも全て、巨額の宣伝費を費やした同社の広告フレーズだったのです。
 ちなみに冒頭の2文は私達の話ではありません。が、ダイヤ市場にすっかり踊らされ、有頂天にさえなっていた私は後日、夫と2人で有名店を訪ね、柄にもなく美しい小石を左手にはめてもらいました。
 そして先日、指輪の洗浄を兼ねて当販売店を訪ねたところ、店内に『日本はキンバリー・プロセス参加国です。紛争ダイヤの輸入を禁止しており、国際基準を守った合法的な取引きによるクリーンダイヤモンドを販売しております』という様な小さなポスターを見つけました。ただし店員さんに原産地を尋ねたところ「70%以上が南アフリカですが、この石がどこで掘られ削られたかは全くわかりません」ということでした。販売時に頂いた証明書にもその石がどれだけ美しいかは書かれていますが、産出国等には全く触れられていません。そして例え、上記の様な紛争ダイヤと呼ばれるものでなかったとしても、多くの場合、採掘作業はひどい労働条件の下、過酷を極めます。
 そんなこととはつゆ知らず、全くの無知だった結婚前の私。そしてそんな私の願いに清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で答えてくれた夫。たった1つの小さな小さな石ですが、当時の喜びと輝きを忘れずに一生大切にしたいと思います。

参考資料:『NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2002年3月号』

発送お手伝いのお願い

ニュースレター10月号(第135号)の発送を10月 8日(水)10時から事務所にておこないます。
発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


編集後記: 平成20年8月末豪雨と命名された大雨、本当にすごかったですね。異常気象,地球温暖化,ヒートアイランド・・・。いつもうるさいほどのアブラゼミにかわって、今年はミンミンゼミが大にぎわい。千葉市美浜区ではクマゼミの声も聞きました。このまま日本が亜熱帯化していくのは、何としても食い止めなければいけません。 mud-skipper